赤い文化住宅の初子
★★★★★ 星5
もしくはわからない
両親のいなくなった消えそうな家庭で中学卒業後の進路に悩む初子と、家庭を支える術を持たぬ苦しみと向き合う兄
「ビスケット、たべり」いとおしい言葉だ。うすうす広島じゃないかと思っていたけど、調べたら福山らしい。赤毛のアンは僕も怖いと思っていた。視聴中ずっと心配だった三島は初子を支える器があるとは思えない心配は最後まで消えないけど、あの駅で初子の支えのひとつになっていることは間違いない。それ以上なにを望む必要があるのだろうとエンドクレジットで思った。例え文化住宅の外にくらす人々であっても明日を確約するものは幻のような儚いもので、それがわかっているか解らないで暮らしているかの差があるだけなのだ。映画の中の貧乏表現は、全ての人が経験する人生の辛さのメタ表現なのだ。映画ではない。将来への儚い希望よりも、今日駅でビスケットを一緒に食べているという事がなにより大切なことなのだ。そことに三島は気付いてないけど、初子も視聴者も駅の時間を愛おしく思っていたはず。映画の全てはラストシーンのためにあるのだとすればビスケットシーンは5億点です。
タイトルを検索すると「ラスト」「結末」とサジェストされるけど、物語に結末はあっても、人生のラストは誰だってひとつしかないわけで、とりあえず映像化されてないこの先があったとしても知りたいとは思わないくらい、映画として完結していると思った。
2013年09月01日
感想文
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