それは、この世のものと思えぬ美しさだった。


いつもの店でいつものように買い物をし、いつも通りに家路につこうとしていた八戒の足を止めたのは、写真館のショウウィンドウに飾られた一枚の写真だった。

全面を埋める桜。
幹も見えぬほど、枝も分からぬほどの桜。
幾千、幾万の桜花が印画紙を埋めている。

−これは、この世界のものではない。

可笑しなことに、八戒はそう確信した。
この世のものでなければ、何だというのか。
天国でも地獄でも、まして極楽浄土など端っから信じていない。
それでも、確かにこれはこの現世に咲く花ではないのだ。
いや、この景色は、どこかの異界のものと『知って』いる。

「お気に召しましたか?」
横から声をかけられて、八戒は我に返った。
傍に、人の良さそうな親爺が立っている。
風貌から、この写真館のあるじと思われた。
「お兄さん、ずっとこの写真を見ておられましたね」
「あ、ええ。綺麗な写真ですね。これはご主人がお撮りになったのですか?」
「いやいや。そのね、カメラの中に入っておったのです」
主がさすところには、黒い箱が置かれていた。前面にレンズが付いている。
古い古い映画に出てくる、『写真機』という呼び名が似合いそうなカメラだ。
「わたしの祖父さんの、そのまた祖父さんの、さらにもっと前の人がね、譲り受けたそうですよ」
「はぁ…」
親爺の言うことが本当だとすると、このカメラは数百年は経っていることになる。
「譲られた時にね、−本当に只で譲り受けたそうなんですけど−フィルムが入りっぱなしだったそうで、現像したらこんな美しい写真だったんです。それからずーっとフィルムを大事に保管してね、毎年春になるとこの写真を飾っとるんです」
「どこの景色なんでしょう」
「さてねぇ…わたしも若いころはいろいろ訪ねてみたんですがね、こんな桜の森、見つかりませんでしたよ」
フィルムを残したまま譲ったというその人は、いったい何処でこの写真を撮ったのだろう。
そもそも、なぜこんなにも美しい写真が取れるカメラを手放してしまったのか。
只で、と言うことは、金に困ったのでもないらしい。
外見は、大切に扱われたらしく傷などもなさそうだった。
このカメラの所有者はどんな人だったのか−。
「良いカメラでしょう」
八戒の心の内を読んだように、主人が言った。
「ええ、−カメラのことはよく分かりませんが。これはまだ動くのですか?」
「動くよ。一応手入れはちゃんとしていてね。ほら、ごらん」
店主に誘われ、店内に入る。店の親爺はショウウィンドウの裏からカメラをとりだすと、八戒にわたした。
思った以上に重い機械を、慎重に受け取る。
「ここがピントをあわせるところ。このレールのロックに合わせるんだ。後ろのビューガラスから覗いてごらんなさい。綺麗でしょう」
親爺の言うとおり、のぞき窓から見た古い店内は、レトロクラッシックな風景に一転した。
「…凄いですね」
「でしょう、でしょう。フィルムの交換はここから。フィルムホルダーにセットしてね、交換する。これは暗幕被らなくても交換できる。良い道具が全部そろってるんだよ」
「なんで手放してしまったのでしょう」
「さぁねぇ…。ただ、道具は使ってこそだからね、きちんと使ってくれる所へ流れていくものですよ」
使ってもらえる所へ流れていく。それでは、この写真機はその場所に落ち着いたのだろうか。
それとも、まだ、どこかへ流れていくものなのか。
「お兄さん、そのカメラ、よかったら使ってあげてくれないかね?」
「えっ!?」
店主の意外な申し出に戸惑った。
「そんな、僕、カメラの知識ありませんし」
「それは使っていけば身に付くものだよ。それにねぇ…」
店の親爺はそっと優しくカメラに触れる。
「春ごとにね、これをあの写真と一緒に飾るけれど、カメラに関心を示してくれたのはお兄さんだけだったよ。きっと、これは何かの縁なんだねぇ…」
愛しそうにカメラをなでる親爺は、本当に嬉しそうだった。
「それなら…。お代はいかほどでしょう」
「いいよ、いいよ。只で譲られたものなんだ。いくべき所にいくのがカメラにとっていいんだよ」
「わかりました。僕のところに来るのがいいことが良いかわかりませんが、お預かりします」
八戒の言葉にさらに嬉しそうに店主が頷く。
「それにねぇ」
親爺がにこり、と笑った。
「機械の使い方より、フィルムと現像代がかかるからね、撮影したらウチにおいで」
なんだか店主の目論みにうまく嵌った気もするが、とりあえずクラシックなそのカメラを丁寧に抱えて八戒は店をあとにした。


end.


アニメのエンディングで八戒がカメラを持っているイラストから作ったお話。
しばらく思い込みであのカメラ、二眼レフだと勘違いしてました。
書き始めてからもう一度確認したら、大判カメラだった…。カメラの操作方法で間違ったこと書かなくてよかった(^^;

このお話自体は去年できてたんですけど、アップする時期を逃してしまったので、今年に持ち越しになりました(^_^;


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